ブログ2回目で「使命とは」なんて難しいタイトルつけるもんじゃない
こんにちはNETAROUです。
初めてのブログを投稿して、読んでくださる方がいて、☆スター☆まで下さる方がいて感謝感激しております。
今後は「ブログを続けて書いてみよう」というのがとりあえずの目標ですので、そんなにお役に立てるような内容のものはないと思いますが、
お茶やコーヒーのお湯を沸かしている2~3分、
ティファールだったら1分ぐらいのお暇がありましたらぜひまた読んでくださると
好きがこぼれ落ちます。
(Youtuberのkemioさんの決まり文句です。)
(可愛くてあたたかいフレーズなのでとても好きなんです。)
-
さて、本題へ
今回の本題を「使命とは」にした理由は、
女性誌の「GINGER(ジンジャー)」2019年3月号を読んでいて森星さんのインタビューの中に使命の話が出てきたからです。
ちなみに私はRakuten magazineを年間プランにして日本のいろいろな雑誌を読んでいます。
クレジットカード決済で電子書籍なので、クレジットカードで引き落とされる口座に残高があって、スマホがあれば海外でも読めるので「日本が恋しい感」を若干薄めることができるかと思います。
-
さて、本題へ(2回目)
今回、雑誌で「使命」というワードを見て、私は自分が20歳ぐらいのときにある男性とカフェに行き、
「生きる意味って使命を見つけることだよ」と唐突に言われ、
ちょっと引いたのを思い出しました。
そのときの私は「情熱」とか「熱い人」のことを格好悪いと思って生きていたので、「使命」という言葉すらなんかちょっと受け入れられませんでした。
しかし、今になって「私の生きる意味ってなんだろう」とよく自分に問いかけている現実を見ると、「使命」という言葉は使っていないものの「自分の命の使い方」を模索している気がしています。
そして、森星さんの話に戻りますが、
森星さんのおばあ様は有名なファッションデザイナーの森英恵さんで、
そのおばあ様について森星さんは「あの時代に女性ファッションデザイナーの地位を確立することが使命だったのではないか」とおっしゃっていました。
また、ご自身のお母様について森星さんは「5人の子どもたちをしっかり育て上げることが使命だったのではないか」と感じていらっしゃるようです。
この話を読んで、使命って結構結果論みたいで、生きてみないと分からないものだと思いました。
-
着地します
ある程度の年齢になって何故か「使命」や「生きる意味」が見つからなくて自分は生きる価値無しと考えるようになりました。
それは死ぬまでに何かを成し遂げさせるためにDNAがそうさせるのか、私の脳の思い込み(多分こっち)なのかは分かりませんが、今回のブログを書いていて、使命とか生きる意味とかの発見までにとりあえずもう少し時間かかりそうだなと感じました。
私の使命とかよく分からないけど、とりあえず明日も生きるつもりです。
…はぁ、何かうまくまとまらない。
ブログの着地は難しい。